みたび 睦月のこと       

                                      

1日(金)私にとって初めての「未亡人」という肩書をつけられた忌まわしい年が去って、新しい夜が明けた。
 いうなれば第3の人生のスタートというわけで、人によってはまだ不謹慎と言われかねない、たったの4ヶ月が過ぎたばかりだけれど、心の中ではひそかに忌明けを決意している。
 今年は門松もつけず、年賀状も来ないけれど、とても静かな良い初日の出の朝を迎えて、心が晴れてくる気分。
 それでも形ばかりのお正月らしい料理を並べて、子供たちとお雑煮を食べた。
 午後になって、新年早々ゴルフウイドゥだという娘を誘って、閑散とした銀座に出た。目的は映画館。
 数寄屋橋のマリオンで「カールじいさんの空飛ぶ家」を見た後、勢いづいてもうひとつ見ようか、ということになって、「This is it」を梯子した。
 前者はほのぼの気分でとことん楽しめたし、後者はこれは目からうろこという感じで、マイケルジャクソンという人に対する評価が再確認される素晴らしい映画だった。
 この映画で得た大きな教訓、人は見ただけの印象で評価してはいけない、ということ。
改めてもったいない人を亡くした、と思った。今日は新しい自分作りのためになんと良い新年の幕開けだったことだろう。
 今年はきっといいことが起きるに違いない。もっともまだ、メリーウイドウの座までは程遠いけれど。

2日(土)朝8時から箱根駅伝往路にくぎ付け。これをみると元気になれる。
 今日は「うちの村」はどうやら皆出払っているらしい。私はテレビを見ながら2階のクローゼットの片づけに専念して、またまたゴミ袋3個の不用品を整理した。
 少しずつ、すこしずつ、身辺が整理されていくのは気持ちがいいけれど、どこかで、線路のポイントを手動でむりやり切り換えているという、ぎこちなさがあるのも否めない。
 棚の箱を下ろしたら、羽根布団が3枚出てきた。どなたに頂いたものやら、まったく覚えていない。
 夕方になって一日遅れのウイーンのニューイヤーコンサートをハイビジョン放送で見た。
 旦那と並んで視たのがついこの間のように思われるけれど、あれからあっという間の1年間だった。
 毎年恒例のテレビ観賞だけれど、そういえば去年は、途中で、「もう寝る」、と言って2階に上がっていってしまったことなどを思い出した。
よっぽど具合が悪かったのだろうに、私は余りそのことに気付かなかったことが悔やまれる。
 3食同じようなものを食べて、少々欲求不満気味なので、毎食後についお菓子に手が出てしまい、困ったことだ。
 新聞を見たら、テレビで9時からマイフェアレディをやるのを見つけた。
 この放送が終わるころには、すっかり乾いていると判断したので、大急ぎでお風呂に入り、シャンプーをした。
 合間に隣の娘の家で留守番をしている猫のマイちゃんにご飯をやりに行ったり、留守番のおばはんは忙しい。
 マイフェアレディーのオードリーヘップバーンの歌がとても魅力的だった。一説によれば、他の人が歌っているとも聞くけれど、まったく違和感がない。
歌というものはこういう風に心で歌わないと、聞いている人に伝わらない。としみじみ思わされる。

3日(日)今朝がた3時にぽっかりと目が開いてしまい、寝られそうもないので、ちょっぴりお遊びをする。
 ユトリーバが満席になってしまい、入りたいという希望者の声がちらちらと聞こえてくるので、そうだ、もうひとつグループを作ろうと思い立った。
 そうなると、ユトリーバのようにテーマ曲が欲しくなる。
 そこで五線紙を引っ張り出して、思いつくままにメロディを書き留めていった。
こういうことをやっていると、ますます眠れなくなる。
 7時になったので、テレビをつけて箱根駅伝の復路を見ていたら、走り出さないうちに急に睡魔が襲ってきて、結局起きた時は9時半だった。もう走者は箱根の山を下りて、気持ち良い海風を受けながら(本人にはそんな余裕はないだろうけれど)湘南海岸をひた走っている。
 ノリコがお昼にご飯を誘ってくれたけれど、駅伝が気になるので、ゴールの東洋大学が優勝したところまで見届けてから、自由が丘の改札で落ち合い、池上の本門寺に行くという節子母御一行と合流。
 久しぶりでお喋りをしながらのろのろと歩く母2人を、若者たちは交差点の度に待っている始末。
 高い本堂に上って、そういえば大学病院の病室から、この屋根をいつも見ていたっけ、とちらっと思い出したけれど、鼻がつんとなる前に、急いで蓋をした。
 でも今年のお正月は初日から出歩いて、これは近年まれなこと。良い年明けだわ。

                  

4日(月)7時半に起きてテレビをつけたら、今日は駅伝の優勝校の東洋大が出ずっぱり。
何度見ても魅力的な男の子ばかりで、見るたびに元気をもらっている。
 今年初めての整骨院に行ったら、明日から、と張り紙がしてあった。確か4日からと聞いていたのに、私の耳は可笑しいのかしら?
 燦々と朝日を浴びてテレビを見ていたら朝から眠くなって、30分ばかり朝寝。これが最高に気持良いけれど、起きたら体がすっかりなまってしまい、活力が出ない。
 なんだか寒いので、温かいそうめんを作って、若布、春菊、ねぎ、卵を放り込んで食べたら、やっと元気になって、時間ぎりぎりにデイホームに行ったら、1階のロビーで「あんすこ」のメンバーが揃っていて、途中下車。
つい座りこんで、コーヒーをごちそうになっているうちに、今年最初だというのに遅刻となる。
 昨日本門寺の階段を上がり下りしたおかげで、今日は膝ががくがく。

5日(火)起きたら8時半。すっかり寝坊癖がついてしまった。どうやら昨夜雨が降ったようで、地面がしっとりとしていて、気持ちがいい。
 ゆっくりと洗濯ものを干していたら、ハルコさんから電話で、プールに行こうというお誘いだった。
 今月から復帰するつもりだったので、整骨院に行った帰り、郵便局で牛乳代を振り込み、昨日書いた楽譜をコピーしにコンビニに寄ってそのまま電車に乗り込んだ。
 今日は8ヶ月ぶりなので、用心して泳がない。ひたすら45分せっせと水中を歩く。
 帰ったら熊本のスミコさんから電話で、栗本尊子さんがNHKのFMで歌う、と電話があった。
 栗本さんは私たちの尊敬する大先輩の声楽家で、もう80代後半の素晴らしい現役。
 すぐに鎌倉のカズコさんに電話で知らせる。3年前に出されたCDの歌をたっぷり40分堪能した。
 気品にあふれた正統派の日本語の発声は、思わず襟を正される思いがした。
 夜はこの間から冷蔵庫で待機していたマグロにご出馬を願って、酢飯を炊いて鉄火丼を作った。
 ずっと正しく?食事を作っている自分に大拍手。

6日(水)昨夜水中歩行の後遺症で足が痛かったけれど、朝になったら痛みが軽減していて、この分では、しばらくは熱心に通ったほうがいいみたい。でも昨夜洗った水着とタオルを、出してはみたものの、2日続きで水に入って良いものやら迷っているうちに日が暮れてしまった。
 今日は眠い日。やることがないとやたらとお茶を飲んで昼寝をして、と、自堕落ぶりを発揮してしまうので、考え直さなければ……。
 午前中の配達で、旦那の都立高校の先輩のイノウエさんが亡くなったとのお知らせの葉書が入っていた。 暮れの23日の御不幸ということだったけれど、こちらから喪中の葉書を出したら、奥様がお電話をくださったのは、ついこの間のことだった。
 いよいよあの世は同窓会で賑わっていることだろうな。お昼を食べる前にお悔やみ状を書いて、急いで書留を出しに郵便局に行った。

7日(木)朝ゆっくりと起きて、テレビを見てのんびり過ごす。特別のことがない限り、もう朝1番で整骨院に行くのはやめにして、あせらずゆっくりの方針に切り替える。
 11時近くなって出向いて行ったら、ガラガラだった。まだ皆様お正月気分で、整骨院路線ではないらしい。体調がそんなに悪くないということなんだろうな。
 プールに行こうと思って、3時に水着を着こんで靴を履きながら、何気なく携帯をチェックしたら、マキちゃんからメールが入っていた。
 4時におじちゃんも誘ってニコタマでお茶しない?とのお誘い。可愛い姪っ子ちゃんのお誘いを無視するのは本意ではない。
 直ちに予定変更。水着を脱いで少しお洒落な服に着替えて、いそいそと出かけて行った。
 今朝間食はしない、と決意したばっかりなのに、多摩川べりの窓際で、富士山を見ながらケーキセットなど、おいし〜く食べてしまった。それにしても同じDNAの我こそは権化といった3人のティータイムは姦しい(この際オンナは2つでひとつの字はオトコだけど)。プールは明日のお楽しみ。

8日(金)今日こそはさぼらずにプールに行こうと決意した。だから早々と水着を着こんで、荷物を整える。
 家を出たのが2時。きっとこの時間は空いているだろうと思ったら案の定コースはガラガラ。でも、少ない利用者の中で一人のおばはんが、水中歩行をしながら、ちょくちょくすれ違う男性と話をする。
 それは勝手だけれど、その邪魔さ加減は、スキー場のゲレンデの真ん中で座り込んでいるスノボーの連中と同じぐらいなのだ。
 何かのグループに入っているのか、いろいろな人と立ち止まって話しているけれど、このお相手が男性に限っているのは、どうして?ゲレンデだったら、どいて〜〜!と叫ぶところだけれど、淑女のワタクシとしてはだまって脇をすり抜けるだけ。
 今日は45分間歩き続けた。でも体重は100グラム減っただけ。
 夕方久しぶりにおしめりがあるという天気予報は見事外れて、夕焼けがきれい。だから空気はからから。

9日(土)最近すっかり寝坊癖がついてしまって、雨戸をあけるのが恥ずかしいぐらい。
 今日も8時半になってやっとわが家の夜が明けた。
 そろそろ整骨院通いも1日おきにしようかと思いながら、惰性で毎日の日課になってしまっている。
 いい加減に治ってもいいのになあ。延び延びになっていた12月の更新をやっと今日になってやって、ちょっと肩の荷が下りた感じ。
 夜、昨日買ってきた伊豆のところてんを食事前に食べたら、それだけで満腹になってしまった。だから今日は炭水化物抜きの夕食にしたところ、夜更けになって俄かに空腹感。
 ここで食べたらオンナがすたる。今12時ちょっと前、猛烈にお腹が減ってきた。どうしようかなあ。

10日(日)お天気がいいので布団を乾した。今日は成績がよく、起きぬけに掃除機もかけて、洗濯物も早々と済ませたのは、午前中にワタナベさんご一家がご到来との連絡があったから。
 奥様がやっていらっしゃる保護司の、運動費に充てるお煎餅をお願いしておいたのを持ってきてくださり、1時間ほどいい時を頂いた。午後はもうなにもやることがなく、パソコンゲームに嵌り込んでいて、4時過ぎになって、はっと洗濯物のことを思い出した。
 慌てて2階のテラスに出たら、なんと!布団も乾していたんっだっけ。
 折角乾したのに今夜は冷たくなった布団で寝なければならない。ッタクもう!せめてご飯を炊いて、今朝頂いた佃煮で温かい夜ごはんを食べることにしよう。

                       

11日(月)朝テレビで京王デパートの駅弁大会をやっていて、無性に食べたくなった。
今日は月曜日の成人の日で整骨院もプールもお休みなので、思い煩うことがない。デイホームでピアノを弾きながら、やっぱり帰りに直行しようと思った。
 デイホームの前の通りから渋谷行きのバスに乗ったら、道玄坂が歩行者天国のためこちらに回り込んできた車で、大渋滞。
 それでも山手線が嫌いなので、そのまま凝り性もなく渋谷から新宿までまたバスに乗る。
 街は成人式流れの20歳で溢れている。バスの中で、男女4人連れの新成人がはしゃいでいた。
 代々木のあたりで女の子2人が降りた後、それはだんだんエスカレートしてきた。降り際によっぽど声をかけようかと思った。
 「あなたたち今日成人になったのね、おめでとう!でもバスの中で大声出すのは、かっこわるいわよ」
…でも言わず仕舞い。
 折角のお祝いの日に憎まればあさんになることもないか、と思ったから。
 帰りにまた新宿のバス乗り場で振袖のお嬢さんに声をかけられた。
 「あのう、33番乗り場ってどこでしょうか」「さあ、ここは16番だからここではなさそうね、どこ行きを探しているの?」
「それがわからないんです、ホテルまでいくので」「なんていうホテル?」
「名前がわからないんです」一瞬あほか、と思った。もうちょっと面倒を見ようかと思ったけれど、今買ってきた鹿児島の黒豚赤ワインステーキ弁当のことが気になって、それ以上は付き合えなかった。
あの人その後どうしたかしら?
 それにしても、20歳って頼りないのねえ。
 今夜の冷えはきつい。だから湯たんぽを2個入れて寝ることにした。さぁてと……。

12日(火)昨日からの寒気は一段と磨きがかけられて、今日の寒さは半端でない。
お昼前からしょぼしょぼと降り出した雨は、血管の中まで凍りつかせるような、過酷さだった。
 整骨院も流石にがらがら。帰ってからしばらくテレビを見ていたけれど、どこにいても寒いのは同じだから、3時になっておみこしをあげてプールに行った。
 今まで気が付いていなかったことだけれど、水中歩行のコースの頭の上から、規則正しく刻んでいる音がある。
見回して見たら、半分以上の人がそのひそやかな音に合わせてせっせと歩いているのだ。
 これはいい考え…というか、この音の正体は分からないけれど、これを利用しない手はない。この音に連られて、45分間せっせと歩いてきた。
 プールサイドに書いてある水中歩行の消費カロリー通りだと、これでたったの180kCal。
 これではうっかりつまみ食いも出来ないわ。

13日(水)昨日以上に寒い朝。今日は90回目のユトリーバなので、寒いなどとは言っていられない。
 大急ぎで朝食を済ませて、整骨院に行ったら、9時前だというのに、もう5、6番目だった。暮れから昨日まではガラガラだったのにやっと皆様のおみこしが上がったらしい。いつもより30分余分に費やして、10時半に大急ぎで帰宅、お湯を沸かしているうちにもう一人目のお客様。
 今日は8人のメンバーが揃ったので、この間作った歌を歌っていただく。思ったよりもきれいにハモってなんだか嬉しい気分。
 この歌はかつてコンサートのネーミングに使っていた「Tea for three」と名付けた。
 皆でお茶を、という意味合いを籠めて。
 コーラスを始める前に、区の「あんすこ」のヒライさんがのぞきに見えたので、お得意の曲を5、6曲ご披露した。
 今日は寒いので、お昼にアツコさんが温かいうどんを作って下さり、、お味噌汁の代わりにする。
皆様せっせとお代りをしてくださり、嬉しいこと。
 夕方近く、メンバーの皆様は冷たい空気の中を肩をすぼめてお帰りだったけれど、私はたくさんのお客様の温かい気持ちを受けて、寒さは全く感じなかった。

14日(木)今日はすこし動き過ぎ。整骨院に水着を着て行って、そのままプールに行き、調子がいいので50分歩いた。
 帰ってから1カ月ぶりに整形の先生のところに、先月の検査の結果を聞きに行く。
 6か月前に90だった中性脂肪が、なんと、190!これはお菓子の食べ過ぎの結果らしい。
とにかく家にある甘いものは、全部私の胃の腑に収められてしまうのだから。
 わが家の冷凍庫は今食べ残しの半端なお菓子で一杯。派遣村にでも持って行きたいくらいなのだ。
 性格的に頭に引っかかっていることを引き延ばしているのは嫌なので、整形外科に行った勢いに乗って、銀行からお金をおろして地代を納めに行く。
 歩いているうちに、猛然と膝が痛くなった。結局往復とものろのろと足を引きずって、やっとのことで家に帰った。
 テレビをつけたら、今日も不愉快な話ばかり。目下政治献金の話題で盛り上がっているけれど、もう政治家は信用できないし、他のチャンネルを回せば、芸能人が大口を開けて、タラバガニやら、牛フィレなどをぱくついている。
 僻むわけではないけれど、この手の番組やめてくれないかなあ。
 それにしても今夜の冷え方は半端でない。今日も湯たんぽ2個を抱えて寝ることにしよう。

15日(金)今日こそは早く起きるつもりだったのに、気がついたら8時半。流石に雨戸をあけるのが恥ずかしい気がする。
 起きて早々に今日のスケジュールの変更を余儀なくされてしまった。
 ほんとうは朝のうちに整骨院に行くつもりだったのに、そちらを先にしたら、マチコさんとモーツァルトで待ち合わせる時間に遅れてしまう。
 こういうときに一人身の自由人の便利さをしみじみと思う。
 取り寄せたお煎餅を渡すのが目的で、今回は度重なる慰問袋の返礼のつもりだったのに、彼女ったら魅力的なぽち袋に代金を入れてきて、せっかくなので頂いてしまった。せめてコーヒー代ぐらいは持とうと思いながら、それもしないまま。 わたしったら!
 2時過ぎたので整骨院に行ったら、今日は混んでいて、思いのほかに時間がかかった。
 まあ、今日はなにもすることがないのだから、どこにいても同じ。
 電気をかけていたら、デイホームのメンバーのハマノさんが入ってきて、しばらくお喋りの花を咲かす。
 今日も寒いこと!

16日(土)朝起きたらからりと晴れ上がっていて、そうだ、富士山日和だ!と思うと早速行動に移す。
 トモさんの所に電話をして、午後に行く約束をする。焼きたてのパンとシュークリームを買って、どうか雲が出ませんように、と念じていたけれど、東海道線に乗ったころから、西の空は木綿布団のような厚い雲に覆われてしまった。
 あ〜あ、今日も富士山は私に冷たいんだわ。茅ヶ崎の駅ビルで小さいお弁当を3個、これは私のお昼ご飯と、お二人の夕食となった。
 むかごのお化けみたいな不思議なお芋(タピオスというんだって)をふかして、3人でふうふういいながら食べたのがとても美味しかった。海はあっさりとあきらめる。
 だいぶ日が長くなったとはいえ、3時過ぎると俄かに空が垂れ下がってくる感じで、今日も3時20分のバスを見計らってお暇する。
 横浜駅で降りようかと思ったけれど、気が変わって品川まで乗り、駅中を一巡、美味しいものをしっかりと頭の中にインプットさせて、今日は何も買わずに寒風に震えながら帰宅した。ちょっぴり旅をした気分。

17日(日)寒さが和らがないので、何をする気も起らない。例によって朝寝坊。だんだんとエスカレートしてきて今朝は9時ちょっと前にがらがらと雨戸を開けたら、ぱっと明るい光が入ってきて、天岩戸をあけた天照大神的気分。
 天照大神さまもこんな恥ずかしい気分だったのかしら。
 今日は見事になにもしない日。しいて言えばご飯をちゃんと作っただけ。
 昨日トモさんに教えていただいた、豚肉と蕪をさっと炒めてちょっぴり醤油をたらすというのを、頂いてきた1個の蕪のスライスで作ったら、おいしい。
 教わったのは蕪と豚だけだったけれど、私は、冷蔵庫の中で身の置き所をなくしてしまったようなエノキ茸と、出番がなくて少々しょんぼりしていたねぎの青い所を刻んで、仲間に入れてあげた。
あとは一昨日の鶏と白菜の鍋をお味噌汁に変身させる。
 昨日トモさんにおねだりして摘ませていただいてきた水仙の束を玄関に飾ったら、あたり一面に香りが漂っていい気分。
 ほんとうは旦那の写真に飾ってあげるつもりで頂いてきたのだけれど、香りが強いのでやめにした。
 でも、明日になったら花を取り換えて飾ってあげようかな。

                        

18日(月)頑張っていた百合の花が、急激に色を失った。昨日頂いてきた水仙に後を譲ってもいいという気になったらしい。
 この花を頂いたのはいつだったかしら?ずいぶん長く咲き続けてくれた子たちに、御苦労さま、と声をかける。
 それでもまだ10本以上が熟し切った美しさを見せてくれているので、水仙にはもう数日は玄関で待機してもらうことにした。
 今日は忙しい日。朝、整骨院のニシウミ先生と約束していた体操教室に初めて行く。先生、言葉は柔らかいけれど、やることは私にとっては少々きつい。片足立ち1分間というのが、いつの間にか出来なくなっているのに気がついて、びっくりした。
 私の筋肉は相当すり減ってしまっているらしい。
 いったん帰ってお昼を食べてからデイホームに行く。
 今日は白玉ぜんざいを作ったから、皆とおやつを食べて行って、と言われて大喜びで座り込んだのは、今日の体操で先生が、ダイエットなんてする必要はない、それより、おいしいものを食べて筋肉を鍛えて、と言われたことが気に入って、すぐさま路線変更したから。
 夕方ポストにO夫人からの葉書が入っていた。旦那の大先輩で、うちより2ヶ月早く他界された方の奥様。
 一流女子大を卒業後、東大に入って優秀な成績で出られたという、超エリートで私たち皆が尊敬していて、どちらかというと近づきがたい方だったのに、ご主人が亡くなられて、まだ元気を取り戻していられないらしい。
 近いうちにお伺いします、ご主人の最後のことを聞きたいからと書いてあって、それが本来の彼女だったのだな、とちょっぴり安心した。
 いずれにしてもお目にかかるのが楽しみ。

19日(火)少し寒気がゆるんで凌ぎ易くなってきた。昔ならこれからが大寒の入りで、東京にも大雪が降ったりした季節だけれど、この頃の天気は全く予想を許さない。
 明日からはしばらく4月の陽気だそうな。
 このところ寒さもあって、ゆったりした体の動きが身についてしまった。だから毎朝起きると、8時を回っていることが多い。
 起きぬけのテレビで、与野党の論戦がかまびすしい。朝からよくこんなにテンションが上げられるなあ、と感心する。
 こういう人はきっと口から目が覚めるのだわ。
 それにしても今の政治はあほらしくて見る気がしない。自民党は長年の間に日本をぐしゃぐしゃにしてしまった挙句に、与党となった民主党をコテンパンといった感じでやっつけているけれど、これって恥ずかしげもなく、といった感じ。
 民主党もお金持ちのおはなしばかりで、庶民としては「しらけ鳥」になるばかり。いっそこの際、じじばばには引退してもらって若い政治家さんが与野党一丸となって、これからの日本のために超党派で呉越同舟政治をやればいいのに、と思ってしまう。
 午後3時をまわってから、おもむろに腰を上げてプールに行った。この間歩いた後で猛烈に足が痛くなったので、今日は自重して40分で切り上げ、ゆっくりとお風呂につかって、6時に帰る。
 たったこれだけで幸せになれるのだから、安上がり人生だわ。
 帰ったら、旦那の最後を看取ってくださった看護師のヤタベさんから電話がはいって、明日2ヶ月半になった赤ちゃんを見せに来るとのこと。
 9月にお花を供えに来てくださった時に、干し柿を送ります、と言ってくださって、それ以来なのだけれど、忘れずにいてくださって、干し柿も持ってきてくださると、嬉しいお知らせだった。
 だから明日は家で待機していることにする。

20日(水)今日は暖かくなるという予報だったので、朝インナーを薄いのに着替えたら、いつまでたっても暖かくならない うそつき!
 なんだか風邪をひきそうな気持になったけれど、着替えるのが面倒で、そのままさむ〜いと独り言を繰り返しているうちに、段々体が暖まってきた。。
 午後になって、アンカフェにケーキを買いに行って、新しいボーイフレンドがどうなったか興味深々で聞いたら、向こうから誘っておきながら、その後返事が来ないのよ、と、彼女はご機嫌が悪い。
 なんて不器用なオトコ、というところで意見が一致、つまらない男と、おいしいケーキ作りのどっちを選ぶか、じっくり考えたほうがいいわよと、おせっかいおばさんをしてきた。
 3時になって、旦那の最後を、臨月なのにしっかりと看取ってくださった、看護師のヤタベさんが、生まれて2ヶ月半のかわいこちゃんを見せに来てくださる。しっかりした赤ちゃんで、将来が楽しみな子とみた。
私たちがおしゃべりをしている間、話に加わって、ずっと声を出していて、ホントに可愛い子。2ヶ月半にしてはおませさんだわ。
 しばらく介護の時の思い出話をする。臨月を目の前にして、大きなおなかを抱えながら、日に何度も顔を出してくださったタフな人。うちの旦那を見送るのが最後の大仕事だと思っていたので、出産より先でホントに良かった、としみじみと言われた。
今日は、ともさんから美味しいお菓子を送っていただいたので、お礼の電話を何度もかけたけれどもご不在。
そんな筈ではないとだんだん心配になってきた。夜10時になってやっと繋がったら、コレオさんが圧迫骨折で入院なさったとか。
やっぱり!と気がかりのうちにも、内臓のトラブルでなかったことに少し安心した。
お世話が大変な時を過ごしていらしたので、ちょっと一息つけるのはいいことと思う。

21日(木)朝のうちは予報が当たって、暖かかったけれど、午後になってこれも予報通りの寒さとなった。
整骨院に行ったら、どうしたことかがらがら。暖かくてみんなどこかに行ってしまったのかしら?と思ったら、帰り道で、常連の一団が地区会館から出てくるのとすれ違った。
 どうやら整骨院は暇つぶしにいっているらしい。
 私は水着を着て行って、そのままプールに歩きに行く。
 今日はお仲間のエイコさん、ハルコも姿を現したので賑やかだった。泳ぎたくてうずうずしながらも、私はまだ肩が回せないので、黙々と50分間水中を歩く。帰りぎわにハルコさんとタリーズで長話。
これも楽しい時間だった。
 帰ってからトモさんにお見舞いの電話を入れたら、ご病人はとても元気を取り戻されて、家に帰りたがっていらっしゃると聞いて、安心した。でもリハビリをやるので4週間ぐらいの入院になるとか。
 節分が過ぎたころには、今具合の悪い人が、皆様お元気になることを信じていよう。もちろん皆様の中には私も含めて。
 今夜は冷蔵庫の掃除の目的で、ラタトゥユを作ったら、これが実に美味。ペンネを探し出して、絡めてたらふく食べた。
 今日足の痛みが軽い。明日もこれが続くといいな。

22日(金)昨日植木屋さんから、明日、年末に残したところを伐りに行きます、と電話があって、今日は終日籠ることになった。
 でも仕事の早い人なので、3時前に終了。息子の家の玄関先が枯れ草ぼうぼうのままほったらかしなので、仕事の終わったのを見計らって、そこもやってもらった。
ついでに、見つけた時でいいから柚子の木を植えて、と頼む。
 柚子はマチコさんに毎年おねだりしていて、それはそれでとても嬉しいのだけれど、自分の家の庭で柚子が生ることに憧れを抱いているのだ。
 植え替えた金柑は栄養が足りなくなって、今年は鳥にも敬遠されてしまった。
 植えるところを見つけるのが大変なのだけれど、金柑を掘り起こすのは勿体ないと植木屋さんは言う。
 さて、どこに植えたものかしら。
 帰りがけに植木屋さんが、金柑に鶏粉をやっておいたと言い置いて行ったので、そうか私の努力が足りなかったのだ、と、少し金柑に申し訳ない気がした。来年は金柑と柚子が生ってくれるかも。

23日(土)さすが大寒!とその律儀さに拍手を送りたいような寒い朝。秋ごろは何時行っても混雑していた接骨院がこのところがらがら。我ながら優等生だと思うほど、私はさぼらずに行っているお陰で、どうやら肩も膝も快方に向かっている様子。
 しめしめ、この分ではご機嫌な春が迎えられそう…と信じることにした。
 旦那の写真に飾っていた花が、少し元気がなくなって、はらはらと花弁が散り始めたので、整骨院の帰りに、三色のスイトピーをとり合わせて買った。マイセンの骨とう品屋で買った、パステルカラーに金縁のティーカップに紅茶を入れて供えたら、とてもよくマッチして、旦那も嬉しそう。
 誰もいないので少し遠慮勝ちに投げキッス。旦那はへらへらと笑っていた。
 今夜もともさんにお見舞いの電話をかける。今日は家に帰りたいと駄々をこねられて往生した、と聞かされて、ちょっと心配になる。
 そういえば旦那が亡くなる前に突然「出かける」「どこに行くの?」「家に帰る」「もうあなたは家にいるのよ」
やり取りの末に黙りこくってしまったことがあったっけ。病院にいることがよっぽど苦痛だったのだろう。

24日(日)今日は一日エアポケットに落ち込んだような、空白で埋め尽くされた日。朝から何もやる気が起きない。
 ムスメ夫婦はコンサートに行くと言っていたし、息子は近々越してくる彼女と買い物に出かけているらしい。
 こういう時の時間の過ごし方は、私の場合せっせと人形作りをしたり、散らかっている引き出しの整理をしたりすればいいとは思いつつ、全く無気力でやたらと生あくびばかりが止まらない。
 お昼に昨日作ったカレーを温めなおしたのはいいけれど、ガスをつけたままにして、少々焦げた。
 夕方近くなって、そうだピアノを弾こうと思い立った。
 楽譜を物色して、簡単に弾けそうなハイドンのソナタ集を見つけ出し、暇にまかせて2時間ほど。初めて弾く曲だったけれど、悪くない。でも弾いているうちにふっと悲しくなった。
 最近の私は、時々こういう低空飛行をやるんだ。
 暗くなってから息子たちが帰ってきたので、洋ナシのタルトとコーヒーで、一緒にお茶しているうちに、やっとエンジンが全開になった。
 このカップルったら、10年以上も付き合って、やっと一緒になる気になったらしい。オトーサンが居るうちに喜ばせてあげたらよかったのに、と思うけれど、余計なことは言わないことにする。
 なにせまだ喪中なので、息子もそのことに拘っているらしい。
深夜11時になって、BS日テレで辻井伸行さんのラフマニノフのPコン2番があるのを見つけて、12時まで聴く。
全盲でこんな高度なテクニックの曲を、ミスタッチなしに弾く彼の神経構造って、どうなってるのかしら。
 私は今日2時間掛かって、やっとハイドンを弾けたのに…。

             

25日(月)今日も整骨院は空いていた。どうしたことか今朝は膝が痛い。ちょっぴり寒さが身にしみる今日のような日は膝のご機嫌も悪いらしい。
 午後になってピークに達した痛みのため、デイホームへの往復には難儀をした。
 小学校の警備員さんが通る人に挨拶をしてくれるけれど、それがなんとなく億劫で、ひとつ前の坂を降りたら、この道はかなりの勾配で、下り坂は完全にビッコ状態だった。なにも避けて通るほどのこともないのに…。降り過ぎた分上りとなってばかみたい。
 最近調子が良くなって、そろそろ旅行の計画でも立てようかと思っていたけれど、まだ無理みたい。あ〜あ、温泉にはいりたいなあ。
 夕方になって鎌倉のオコシから、展覧会のお誘いが来たので、足の痛みを忘れて、来月のお約束をした。
 そのころになったら、きっと良くなっているだろうと、希望を捨てない。

26日(火)朝爪がきれいでない、と思った。そこで化粧箱をひっくり返して肌色に近いマニキュアをつけたら、 久しぶりなのと少し焦っていたので、乾き切らないうえに2度塗りをして、ますます汚くなった。
 一旦落とそうと思ったら、除光液が見つからない。仕方なくそのまま出かけて、駅前の100円ショップが開いていたので、買おうと思ったら見つからない。
 手前にあった小瓶を持ち上げた途端に、首がすっぽりと抜けて、はっとしたときには、真っ二つ。
 レジに行って、ご免なさい、落としてしまったからこの分もお代をお払いします、と言ったら、どうしても受け取らない。
 またこのお店を使ってくださればいいんです、というので、結局お言葉に甘えてしまったけれど、除光液は品切れで、私の手は拾い上げた100円の香水の匂いがついてしまって、プールに行くまで消えなかった。
 きっとプールの中で、誰かにいやな思いをさせてしまったことだろうと、少し憂鬱になった。
 今日一日寒かったこと!

27日(水)昨夜珍しくも10時に寝てしまい、5時にぽっかりと目が覚めてしまった。
 でも寝るときにエアコンを入れ忘れていたので、深々としみる寒さに耐えられず、7時半までテレビをつけて布団にもぐりこんでいた。
 この間パソコンでのぞき見たアバターが面白そうなので、午後から見に行こうかな、と考えているうちに、  今日は出足が遅れて整骨院で2時間も掛かってしまい、決心はあえなくしぼんでしまった。
 それならばプールに歩きに行こうかと考えているうちに、これもあっという間に日が暮れて、今日はな〜んにもしない日。
 編み物をしたくなったけれど、毛糸を買いに行くのが面倒なので、ネパールで買ってきた古いカーディガンを解いたら、これが厄介な代物で糸が絡まっているうえに、ぷつぷつと切れてしまい使い物にならない。
 結局1枚のカ〜ディガンをおしゃかにしてしまって、今日は非生産的な一日だったなあ。
 夜窓から、たった一つ見える南の星は何なのかしら?と空を見上げていたら、羽田から上がった飛行機が、東の空から斜めに星をめがけてやってきた。あ、ぶつかる!と思ったのもつかの間、当然のことながら、星を一刀両断という感じで、西に離れて行った。西北を目指して飛んで行くのは、出張帰りの東北人がぎっしりと詰まっているからかもしれない。

28日(木)しばらくぶりにプールに行き始めて気がついたことがある。おばさんが増えた。
 前にはこんなことはなかったと思うのだけれど、プールのコースの中で、いつまでも固まってしゃべっている人が多い。
 この手合いは、大抵がセパレーツの水着で、競泳用のを着ている人が少ない。
 水から上がると不格好。私だって、仲間が来れば水の中でお喋りをして、陸に上がれば同じ姿をさらすのかもしれないのだから、偉そうなことは言えないけれど、プールサイドを歩いている人を見ると、人のことは言えないといいながらも、日本人てなんと短足で歩き方が下手!と思わずせめて、わが身の背筋を伸ばしてしまう。
 今日は未亡人デイなのかしら。うちより2か月早く亡くなったOさんの奥様から、来週お邪魔していいかしら?と電話。とてもお元気そうな声だったので安心した。
 そのあと、10か月早く亡くなったAさんの奥様から電話。こちらは落ち込みが激しい。寂しさは日を追うほどに、と言うから今がピークなのかしら。
 私はまだ旦那が消えてしまったことが信じられず、だから涙も出ず元気なのかもしれない、と思った。
ちなみに彼が私の視界から消えて、今日で5ヶ月、なんて早いのかしら。

29日(金)久しぶりにレッスンを再開。旦那のお友達のSさんがお出でになった。いつも月謝代わりに美味しい果物を持ってきてくださるのだけれど、この前電話で、「もう奥様おひとりなので今度から現金でお払いいたします」と言われた。
 でも、お代を頂くようなレッスンはしておらず、夫もアフターレッスンのお喋りを楽しみにしていたので、即答できず、結局今日も色とりどりのフルーツを頂いた。
 「おひとりなのですこしずつ」、と言われたのも嬉しかった。
 青い野菜が払底してきたので、ほうれん草、小松菜、きゅうり、トマトなどを買ってきて、夜は下ごしらえ。
 葉っぱ類は全部小分けにして冷凍庫へ。
 今日はあれこれと考えて、夫のベッド、ソファーを処分して、予定していた北側の部屋より、南側に仏間を作ろう、と思い立った。
 それには畳を敷いたほうがいいかも。この家を建てた時、旦那が掃除嫌いの私に対する陰謀で、家じゅうの部屋を、汚れの目立つフローリングにしたのだけれど、やっぱり畳の恋しい年代に入ったらしい。
 そういえば今日は旦那の誕生日だった。2階に引き上げる前に、写真に「おめでとう」と言ってあげる。

30日(土)少し寒気が緩んだけれど、まだまだ体に染み通るような寒さを感じるのは、暑がりの私としては初体験。
 相も変わらず湯たんぽを抱えて床にもぐりこむと、気持ちがほっと和んでくれる。
 今日も旦那のお友達の奥様から、細かい字でびっしりと埋め尽くされた暖かい葉書を頂いた。
 お手紙をくださるのは皆様未亡人。自分が経験して、初めて人の悼みが分かるということを、私もやっと理解した。
 だからこれからは、人にもそうしてあげようと思う。
 明日息子のところに、お嫁ちゃんが引っ越してくることになった。一人消えてまた元の5人になったのが、ほんとうに嬉しい。
 オトーサンが聞いたらどんなによろこんだことか、とそれがつくづく残念だけれど、13年の付き合いの末のオコシ入れなので、本人たちの意思を尊重して、私は対岸から眺めていることにしようと、考えている。
 だからというわけでもないけれど、今日は美容院に行った。それでプールは来週水曜日まで、5日間のご無沙汰になる。

31日(日)1月があっという間に終わってしまった。あと数日で立春と聞いて、まさに早春賦を思う。
 お隣の天を突くように建てられたアンテナの先で、名の知れぬ鳥が遠慮がちに歌っているのを聞くと、春を待ち焦がれている気配が伝わってきた。
 今日は前から約束をしていた節子母のところに、ノリコたち夫婦が誘ってくれて、やっとお訪ねすることができた。
 結婚10年を過ぎて、やっとお姑様のところに行かれたということで、なんとなくほっとした気分。
 3年前剣道の指南中に脳梗塞で倒れて、現在施設に入所していらっしゃるお義父さまに会いに行ったら、痩せられてすっきりと美男になっていらっしゃった。
 帰り際に初めて手を握ってご挨拶をしたら、力強く握り返してくださり、まだまだ大丈夫と安心する。
 今日はヒロミさんが引っ越してきているので、帰ってから、出かける前に下準備をしておいたドリアを作って、ノリコ夫婦も一緒に5人で食事。終わってから4匹のわんちゃんに会いに行く。
新しいわが家の歴史のページが開かれた日だけれど、まだ喪中なので、家族だけで歓迎の宴。




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